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満洲8:『真実の満洲1894ー1956』(宮脇淳子著、岡田英弘監修)。メモ(中華民国建国前まで)。

『真実の満洲1894ー1956』(宮脇淳子著、岡田英弘監修、ビジネス社)という本を読んでいる。

以下、メモ。(「コトバンク」などのネット辞典も参照している)

P34。台湾が日本領であった期間:1895年~1945年(50年間)。

朝鮮が日本領であった期間:1910年~1945年(35年間)。

満洲について、日露戦争に勝った1905年~1945年(40年間)。

少なくともこの期間のことは日本史として扱うべきである、と宮脇女史は書いているが私も同感。

P42。満洲という土地から見れば、日本人も異民族だったが、現在の中華人民共和国の指導者たちも異民族である。

P66。清の時代の軍閥の起源。太平天国の乱(1851~1864)で満洲の八旗兵とモンゴルの騎兵が役に立たず(特に南方の河が多い所では)。沿海地方の、交易で金持ちになっていた漢人層が自衛の軍を作った。

P69。西太后(1835~1908)は満洲人であり、漢人ではない。シナ大陸の王朝を建てた種族の四分の三は、北方出身。(隋、唐の皇帝になった鮮卑(せんぴ)族は、満洲北部の大興安嶺山脈の出身)
P74。清朝末期から、満洲でも漢字が共通語になった。

P76。清朝時代には、満洲語・満洲文字だけが共通語だった。

P82。満洲史と朝鮮史は切り離せない。(たとえば高句麗満洲から朝鮮北部にあった政権であり、その後の渤海(ぼっかい)には高句麗人が多くいた。高麗は、高句麗を継承した王朝。)

P90。ロシアが東清鉄道の敷設を開始したのは、日清戦争終結の二年後、1897年。

P91。清朝にとって万里の長城は無用の長物だった。

P96。義和団の乱が拡大して北支事変と呼ばれる。1900年。義和団=白蓮教の分派の秘密結社。清朝西太后は連合国に宣戦布告。連合国は自国民保護のため二万人に近い軍隊を派遣。この間に、17万7千のロシア軍が満洲に攻め込んで、満洲を軍事支配。その始まりはロシア領のブラゴベシチェンスクに移り住んでいた清国人3000人を虐殺しアムール川に投げ込んだ(「アムール河の流血事件」)。その後ロシア軍はチチハル長春吉林瀋陽を順に占領し、虐殺を繰り返した。

P98、日清戦争直前にイギリスが不平等条約の一つ、治外法権を外した。ときの外務大臣陸奥宗光(1844~1897、和歌山藩出身)

P99、日英同盟1902年。ロシアは満洲からの撤兵を約束しながら実施せず。このときロシアは事実上、満洲だけでなく朝鮮も保護下に置いていた。(日露戦争1904~05年、の原因)

P101。ポーツマス条約1905年。表向きの日本の満洲方面の権利は、旅順・大連のある関東州と東清鉄道南満洲支線(南満州鉄道)およびその付帯地。以後満洲に関して日本とロシアの蜜月。第四回までの日ロ協約。

P102。南満州鉄道は半官半民。満鉄の株は大人気で、募集に対して千倍の応募があり直ぐに売れた。政府からの「半官」の部分は現物支給(賠償金の代わりにロシアから得た鉄道や撫順と煙台の炭鉱の土地など)であり、日本政府は1円も出していない。

P103。満鉄初代総裁は、台湾経営で成果を上げた後藤新平(1857~1929、岩手、水沢出身)。満鉄は、「ミニ政府」の役割を果たしていた。(近代的都市計画、インフラ整備や電気ガス、学校、図書館、病院、その他もろもろ)

P128。孫文(1866~1925)の権力基盤は、秘密結社、海外の華僑のマネー、日本人。客家(ハッカ)の出身。鄧小平、リー・クワンユー、李登輝客家

太平天国の乱(1851~1864)の首領・洪秀全客家出身。

客家とは、中国で広東・広西・江西・福建などに住む、かつて華北から移住してきた漢族の一派。独自の習俗・言語(客家語)を保持している。

客家とは、外来の移住者に対する呼称で「よそもの」の意といわれる。

 

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