ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

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満洲4:満洲帝国。リットン調査団。満洲事変。(満洲の洲の字は、本当は州ではダメ。州だと、満洲の起源が隠蔽される)。メモ。

引き続き『世界史のなかの満洲帝国』を読んでいる。

ふつうの新書(PHP新書)なので厚い本ではないが、内容が未知の領域、スラスラとは読めない。自分なりに整理してみたいがそれさえ覚束ないのが現状。

1932年、満洲帝国成立。首都は新京(長春)(1934年より溥儀が皇帝)

1945年8月18日、満洲帝国皇帝退位式。翌日、関東軍と開拓団の武装解除、溥儀と溥傑(溥儀の弟)がソ連軍に拘束されチタに連行される。

1945年8月8日にソ連が日本に宣戦布告したことはそれなりに知られていると思う。附録の年表を見ていたらその翌々日の8月10日、モンゴル人民共和国が日本に宣戦布告していた。翌11日に溥儀は新京を脱出。

 

蒋介石(1887~1975)浙江省出身。1927年孫文の死後、宋美齢と結婚し、孫文の後継者となる。

李登輝(1923~2020)1988年に台湾総統に就任。

張学良(1901~2001)張作霖の長男。1936年・西安事件により禁錮刑、のち蒋介石が台湾へ逃れた1949年、張学良も連行され、1990年まで自宅軟禁。1994年名誉回復、ハワイへ移住。

孫文(1866~1925)広東省出身。

宋嘉樹(1863~1918)=チャーリー宋

宋慶齢(1893~1981)宋嘉樹の次女、孫文の妻。

宋美齢(1901~2003)宋嘉樹の三女、蒋介石の妻。1991年9月以降はアメリカに定住。

(「コトバンク」などのネット辞典や深田萌絵女史の著書『ソーシャルメディアと経済戦争』を参照)

 

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満州事変の原因の一つに、満洲に渡った朝鮮人の問題がある。≫P189

 

ここでその事件「万宝山事件」(1931年)が起こったいきさつが、清朝初期の頃から説明されている。その事件は現在の吉林省延辺朝鮮族自治州で起こった。(満洲帝国時代には間島省といった。間島(かんとう)というのは朝鮮語からの音訳だそうだ)その地は、清朝の発祥の地である。今、「コトバンク」で調べてみたら、「中国人農民」とか「中国側」との表記でしか説明されていなかった、かつ基本的に日本=悪との立場でしかなく落胆。当時「中国」は統一されていなかった。バラバラだったのだ。『世界史のなかの満洲帝国』では、リットン調査団の報告書のことが書かれてあった。それによると、韓国各地で排華運動が起こり、特に平壌では、数千人の朝鮮人群衆が中国人街を襲い、127人の中国人が殺された、とある。

そもそもそこは、清朝発祥の地であったそうだ。よく調べないとこの事件の真相は分かりそうにないと思う。

 

1933年2月、国際連盟はリットン報告書を承認し、満州国を不承認。3月、日本は国際連盟を脱退。リットン報告書の詳細については知っている人は少ない、私も知らなかったし、宮脇女史の記述以外のことは分からない。たとえば上記の「万宝山事件」についての報告などは研究者を除けば、この本の読者以外は知らないだろうと思う。また国際連盟満州国を承認しなかったとはいえ、ローマ法王庁ほかイタリア、スペイン、ドイツ、その他15の国が承認し、事実上承認した国が23、とのこと。また意外なことに、蒋介石中国国民党政府は、1934年12月に満洲帝国と通郵協定、設関協定を結んだという。

 

1945年8月、日本敗戦。この時満洲帝国には155万人の日本人がいた。155万人である。この本の最終章の「日本敗戦後の満洲」はまだ読んでいないので、このあとの事はあまり分からない。ただ当時満洲帝国の首都であった新京(長春)でのちに大変なことが起こったことは間違いない。中国研究者の遠藤誉(ほまれ)女史(『中国製造2025年の衝撃』などの著者として高名)はその被害に遭遇してしまった方である。著書『チャーズ』に新京(長春)で起こったことが詳しく書かれていた。

 

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