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石井孝11:『戊辰戦争論』。北越戦局の推移。新潟港が幕府軍の補給線として機能した。

石井氏の『戊辰戦争論』、戊辰戦争に至るまでの「前史」を読み終えて、いよいよ、江戸開城後の、いわゆる戊辰戦争が始まった。

戊辰戦争といえば、会津藩が有名だが、この戦争で「奥羽列藩同盟」軍の補給線として重要な役割を果たしたのが、新潟港。新潟における戦いが、「新潟開港問題」とリンクして、複雑なことになっていた。6月はじめから7月末にかけて(1868年・慶応四年・明治元年)、新潟は同盟軍の支配地域だった。この時同盟軍に軍需品を供給したのが、オランダの商人・スネル。対する政府軍は、この期間、補給線が途絶えがちだったから苦戦を強いられた。(7月末、新潟陥落)

 

「奥羽列藩同盟」のところを読んでいて驚いたのは、この同盟に実に30近い藩が参加していること、奥羽に30もの藩があったことだ。

そして「東北辺境型領国」についても「西南辺境型領国」と対比しつつ、論が展開されている。

ともに「中央」から遠方に位置する「東北」と「西南」だが、その領国の仕方は当時、全く異なるものだった。

ありきたりな感想だが、薩摩や長州は、早い時期にイギリス軍と交戦し、攘夷の不可能性と富国強兵の必要性を、身をもって学んだんだな、と思う。

欧米の新式の大砲や銃、そして軍艦。

その実物を見、その実物によって、薩摩や長州は、完敗したのだ。

一方の東北諸藩、かりに新潟に「黒船」が現れて、欧米と戦争になっていたら、藩政改革も進んだかもしれないが、そうはならなかった。

 

この時、幕府海軍を率いる榎本武揚は、無傷で江戸湾に停泊していた。もし、この時東北に向けて幕府海軍を出動させていたなら、新潟は簡単には落ちなかっただろうし、新政府軍が企図した「年内決着」は挫折しただろう。(雪が積もれば地の利のある同盟軍に分があるから。)

また、アメリカから幕府海軍に納品されるはずだった軍艦・ストーンウォール号だが、これはイギリス軍が所有する、とある最強の軍艦に匹敵するもので、かりにこれが幕府海軍の手に渡っていれば、イギリス海軍力をもってしても、戦争は長期化しただろう。

このような「もしもの話」も多々ある。

 

北越戦局の推移」を読み終え、次は、「奥羽戦局の進展」。

 

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