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石井孝10:坂本龍馬は、「王政復古の大号令」の直前に暗殺された。

石井孝氏の著書『戊辰戦争論』を引き続き、ぼちぼち読んでいる。

今回「あれ?」と思ったのが、かの有名な「坂本龍馬暗殺」。

日本史好きな人には周知の事実かも知れないが、竜馬が暗殺された時期に、私は驚いた。

慶応三年(1867年)

10月14日「大政奉還

11月23日「坂本龍馬暗殺」

12月9日「王政復古の大号令」(「12月9日の政変」ともいう)

 

坂本龍馬は土佐の人である。

倒幕勢力の中心は薩摩藩長州藩

薩摩藩長州藩を結び付けた「功労者」として坂本龍馬は有名だが、

その坂本龍馬は、「大政奉還」をどう見たか?

そして死後に実行される政変=「王政復古の大号令」を。

 

王政復古の大号令」が、「12月9日の政変」と呼ばれる所以の第一は、朝廷・宮廷の警護が、薩摩軍を中心とする「五藩」の軍によって解除され、宮廷の警護権が、幕府から五藩に移った。その軍隊が宮廷を厳重に包囲している状態で、「王政復古の大号令」がなされたからだ。

 

坂本龍馬が暗殺される2日前、薩摩藩の軍人3000人を乗せた船が出航し、23日、京に入った。(この日、竜馬が暗殺された)

長州藩の軍人1200人を乗せた船は25日に三田尻(長州)を出港した。

 

薩摩藩を中心とする、おびただしい数の軍人たちによって、宮廷は、厳重に「警護」=「包囲」された。この状態で、「王政復古の大号令」が宣言された。

 

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