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石井孝9:『戊辰戦争論』。「当時、資本主義世界におけるイギリスの地位は圧倒的だった。」

石井孝氏の著書『戊辰戦争論』の第一章を読み終えた。

 

慶応二年(1866年)

5月、「諸大名貿易参加の自由化」

7月、将軍・家茂死去

8月、小倉城(幕府側)陥落。(幕長戦争)

9月、フランス公使・ロッシュの対日政策(幕府支援)を支持していた本国フランスの外相が辞任。

12月、慶喜、正式に将軍の座に就く

12月、孝明天皇、死去

 

慶応三年(1867年)

1月、慶喜、密使をフランス公使・ロッシュのもとに派遣

2月、慶喜、ロッシュと面談

5月、フランスの新外相が、ロッシュに「詰問的訓令」を発する。

(これはフランスが幕府と経済協定を結んだことを、イギリス議会が問題視し、それを受けたもの。フランスが幕府のために兵器・軍資金を調達するという内容の協定で、これをイギリスが問題視した。)

(結果的には、幕府のフランスからの「借款」はうまく行かなかった)

(当時、資本主義世界におけるイギリスの地位は圧倒的だった。)

慶応2年の幕府と長州との戦争(幕長戦争)の前後で、一揆が多発した。

幕長戦争において、フランスは幕府を支持、イギリスは「中立の順守」を建前としていたが、その行動は長州に有利に働いた。

フランス公使のロッシュも、イギリス公使のパークスも、驚くほど頻繁に、幕府や雄藩幹部と接触を持ち続けていた。外国船(軍艦を含む)も自由に航行していた。(幕長戦争の期間中でさえも。)

 

慶応三年(1867)2月に、正式に将軍になった徳川慶喜はロッシュと会談した。

石井氏は書いている。≪大君制絶対主義をめざす慶喜の最大の政治顧問は、フランス公使ロッシュであった≫。

 

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