ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

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「憲法改正」という掛け声について。はっきりと「自衛隊を国軍にする」と言った方がいいと思う。その他いろいろ。

雑用をしながら考えた。

 

米国の大統領選挙、一応の決着は着いたように見えるが、このままズルズルと混乱は続きそうだ。

 

この選挙は、不正選挙ということが話題になったが、同時に、合衆国憲法も注目された。

 

たとえば、今は民間人であるトランプ氏を連邦議会で弾劾する、これは民間人を弾劾するということで、法的に問題がある、という解釈は根強く、私も問題があると思うのだが、他にもたとえばバイデンは、大統領令を乱発、奇天烈な大統領令(自称女であれば男でも陸上などの大会に、女性として参加できる!)、米国民の雇用を奪う大統領令…まだ就任して数週間だというのに、30も40も大統領令を出している。

ちなみにオバマは5つ、トランプ氏は4つ。

 

この辺りの法的問題をキチンと知るには、(当たり前のことだが)合衆国憲法を精査する必要がある。

 

それで日本の憲法のことを考えた。

 

憲法改正」という掛け声はよく聞かれる。

その多くは、第九条を改正するということであり、自衛隊の地位を、国軍に格上げする、ということだ。

 

しかし「憲法改正」に賛成する、というだけでは、何条をどのように改正するのかが分からない。

 

憲法改正」に賛成だという人の中には、逆に自衛隊を廃止・禁止という条項を憲法に明記すべきだ、と考えている人がいる可能性もある。

 

だからだ、「憲法改正」に賛成するかしないかで、右翼なのか、それとも左翼なのかと判断するのは愚かなことだ。

 

憲法改正」賛成派の中には、天皇条項をいじって、日本を共和国にしようとする勢力もいるかもしれない。この勢力は明らかに左翼と呼ばれるべき勢力だ。

 

マルクス」についても似たようなことが言える。

 

そもそもマルクスの著書『資本論』を読むような人間は左翼であり共産主義者である、というレッテル張りがある。

 

これはこれでそれなりに正しいのかもしれない。(それなりにだ。)

 

しかし『資本論』を書いている最中にマルクスは死んでしまい、続きはエンゲルスが書いた、ということを知らない人も多い。

資本論』の副題は、「経済学批判」。

批判という言葉は、批難とは違う。

批判、とは、吟味研究して、いったいそれは何なのかを調べる、ということだ。厳密に解釈する。

 

私は『資本論』の、マルクスが書いたところは読んだ。

それでも、自衛隊を国軍に格上げすることには賛成だ。

私は左翼なのか?右翼なのか?

 

資本論』は、「共産主義社会」を作りましょう、などという本ではない。

(そうではなく『資本論』は革命を使嗾する本だ、という解釈もあるかもしれない。しかし私は宇野弘蔵氏の著書『経済原論』での読みと解釈が妥当だと考えている)

 

そもそも私がマルクスの『資本論』を苦労して読んだのは、佐藤優氏や柄谷行人氏、山崎行太郎先生の著書や論考に触発されたからだが、この三人の方々は、左翼なのか?それとも右翼なのか?

 

ちなみにITビジネスアナリストでありIT企業経営者であり、ブロガー、ユーチューバーでもある深田萌絵女史は、自分の事を「右でもなく左でもなく、強いて言えば、下である」、と動画の中で語っていた。

深田女史は作家でもあり、その本は広く読まれている、右左上下関係なく。

上記の三方(佐藤、柄谷、山崎)の著書、論考も左右上下無関係に広く読まれている。

 

柄谷氏の本も広く読まれているが、一般に氏は、左翼と呼ばれているのかもしれない。

氏は共和制を望んでおられるのかもしれない。

しかし柄谷氏の理想とする社会は、氏が『哲学の起源』で展開している「イソノミア」であると私は考えている。

(厳密な定義はできないが、「イソノミア」とは、無支配→誰も支配されず、誰も支配しない。)

 

「イソノミア」は間違っても「共産主義」ではないし、「社会主義」でもない。

共産主義国家は、独裁国家に転化しやすい。

独裁国家は、たとえばジョージ・オーウェルの著書『1984年』で描かれたような、悲惨な国家になってしまう可能性が高い。

 

柄谷行人氏が『哲学の起源』で明らかにしているのは、「イソノミア」が短期間ではあったが、実在したことがある、ということだ。

(むろんこの本で展開されているこれまでの常識を覆す「批判」は、それだけにとどまらない)

 

山崎行太郎先生は、「右翼であっても、優秀な左翼から学ぶべし」と書いておられるが、至極真っ当なご指摘だと思う。

人は、簡単に右だとか左だとか、あるいは上だとか下だとか割り切れるような、そんな単純な生き物ではない。

 

日本国内において、レッテルや雰囲気、大手マスコミの垂れ流す扇動的な記事に簡単に流されるような人ばかりであれば、それこそ国難、とても諸外国に太刀打ちできない。

 

言葉には意味があり、論理がある。

メデイアには、さまざまな言葉が躍っているが、読み解くコツ、リテラシー深田萌絵女史が端的に語っていた。

「書かれていないものに着目する」。

 

これはたとえば、子どもたちが、

「みんな持ってるよ、A君もB君もC君も。だから買って」。

これは子どもたちの定番のおねだりなのだが、親たちは心得ていて、

「じゃあ、D君は持ってるの?E君はどうなの?F君は?」。

 

長い文章であっても、「そこに書かれていないもの」が重要であることもある。

 

いろいろ書きましたが、基本的には楽観しています。

日本には、老いも若きも、素晴らしい人たちがたくさんいます。

もちろん、外国にも。