ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

いろいろ書きます。 メルマガ「偉人列伝」もどうぞ。 ご登録はこちらから。 → http://www.mag2.com/m/0001682071.html

■■アニメ『進撃の巨人』をみた。10年近く前、大流行したアニメ(マンガ)だ。「犬死」という言葉が頻発している。そして主人公は、「死に急ぎ野郎」と呼ばれている。■■メルマガ11月(3)号、配信しました。

ネット上で見ることができたので、その一部だけだが、みてみた。

 

人類の天敵が出現し、人類が絶滅の危機にさらされる、というものだ。

わずかに生き残った人類は、天敵たる「巨人」に闘いを挑む。

兵士として戦う若者たちは、次々に戦死していく。

捕食されていく。

次々に。

生き残った若者たちは、生の意味、死の意味を問う。

「これは犬死なのではないか?」と。

「俺は何がしたいのか?」と。

 

主人公は、「死に急ぎ野郎」と呼ばれている。

そして頻発する「犬死」という言葉。

 

私は山崎行太郎先生の「葉隠論」を読み直した。

 

葉隠』(はがくれ)という書物が刊行されたのは、昭和15年(1937年)。

 

葉隠』が書かれたのは、そのおよそ200年前、今となってはおよそ300年前のことだ。

 

犬死という言葉を、私たちの先祖たちも、ことある毎に、考えていた。

 

山崎先生は「葉隠論」において、「犬死とはどのようなものか」を説いているのではない。

「犬死」かそうでないか、そのような思考を批判しておられる。

 

人は、人の死に、意味を見出そうとする。

意味があった、あるいは、意味がなかった、と。

しかしそんな意味とは無関係に、人は必ず死ぬ。

 

意味と無意味。

柄谷行人氏の著書に、『意味という病』という論考集がある。

 

進撃の巨人』の主人公「死に急ぎ野郎」が今後、どうなるのか、それは知らない。

 

葉隠』には、≪犬死などという事は、上方風の打上たる武士道なるべし…≫と書かれている。

 

そして山崎先生は、次のように「葉隠論」を締めくくっている。

 

≪『葉隠』が嫌悪し、批判し破壊しようとしている武士道とは、まさしく形而上学化された武士道、存在を忘却し存在を見失った武士道、つまり理念化され美学化された武士道なのである。≫

202頁、『それでも私は小沢一郎を断固支持する』山崎行太郎著)

 

進撃の巨人』において、「犬死」という言葉が頻繁に発せられるが、そんなことを一言も言わない登場人物もいる。

 

――

メールマガジン「偉人列伝」
ご登録はこちらから。

http://www.mag2.com/m/0001682071.html