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『ファシズムの問題』『安吾その可能性の中心』(柄谷行人著『言葉と悲劇』所収)

今回は『ファシズムの問題』の後半と『安吾その可能性の中心』全部を読んだ。

どちらも以前読んだことはあるが、初見のような面白さがあった。

 

ファシズムの問題』の方の副題は「ド・マン/ハイデガー/西田幾多郎」だ。

ハイデガー西田幾多郎の思想の、どういうところに限界があるのか、どういう点を柄谷氏が評価しないのか、そのあたりが興味深い。

 

ごくおおざっぱに言えば、両者ともに、その思想が「国家」に回収されてしまう、厳密に国家主義と言っていいか分からないが、そうなってしまう、そのあたりだと思う。

(ちなみに柄谷氏は、西田の論文「世界新秩序の原理」は、大東亜共栄圏の意味づけのようなものであると指摘している。また西田は海軍と結びついていたと。どのように結びついてたのかはここには書かれていない。)

 

西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」とか、「周縁のない円」という言葉が、説明されているが、これらの言葉には、感銘を受ける。

ちなみに西田がいう「周縁のない円」とは、スピノザのいう「無限」と同じものである、と説明されている。(柄谷氏はスピノザを高く評価している)

 

思想的に西田がどこで「つまづいた」のか、その話が実に興味深い。

 

安吾その可能性の中心』の方は、読めばどうにも坂口安吾を読みたくなってくる。

 

ちなみに、ここで坂口安吾永井荷風を批判したことが書かれている。

柄谷氏は安吾の批判を要約して、≪それは「他者」に出会っていないという意味です。≫と書いている。

「他者」という言葉はキーワードだから早合点は禁物なのだが、ともかく柄谷氏も安吾の批判を評価している。

なぜここで永井荷風批判があるのか?深読みすればそれは、「江藤淳批判」だ。

江藤淳永井荷風を感動的な評伝で描いた。

また江藤淳氏は海軍と深いかかわりを持つ。(ただし敗戦の年、江藤氏は13才)

たんなる「深読み」に過ぎないかもしれないが。

ファシズムの問題』の結論は、≪一般性と個体性という対で考えるかぎり≫ダメだと。≪外部性と単独性の問題≫を徹底的に考えないとダメだ、ということだ。(「一般性」「個体性」「単独性」、これらの用語は柄谷氏独自の意味合いがある。)

 

安吾その可能性の中心』の方は、安吾が俗に「小説家」として知られるように、書いていることが一見平明なので、安吾の著作からの引用文も読みやすい。

 

一方の『ファシズムの問題』は専門用語が厄介だが、少しは分かったような気になれた。西田幾多郎に興味のある人には、柄谷氏の吟味・批判が参考になると思う。

 

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