ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

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『スピノザの「無限」』(柄谷行人著『言葉と悲劇』所収) スピノザの考えには、歌を詠むことと似た効用がある。

スピノザには、『エチカ』という有名な著作がある。

柄谷氏はこの講演のはじめに、

≪そもそもスピノザの本は、哲学的教養などなくても誰が読んでも面白いものです。≫

と言っている。

デカルトの著書『方法序説』もしかり、と。

 

この講演では、スピノザの魅力が存分に語られている。

 

夏目漱石の『草枕』に、悲しみの克服方法として短歌を読む、というようなことが書いてあった。

それはどういうことかというと、悲しみという情念にとらわれてどうしようもない時に、その自分の悲しみを歌にする、言葉を選び、詠歌の作業に心を振り向ける、そうすることで、少なくともその時だけは、悲しみという情念から解放される。

そんなようなことだったと思う。

これと似たようなことを小林秀雄も書いていた。

 

スピノザの場合は、詠歌を勧めるわけではない。

理性や意志によって情念あるいは感情を克服することはできない。

しかし、悲しみにしろ怒りにしろ、なぜ自分は悲しんでいるのか、なぜ自分は怒っているのか、そのことを考えることはできる。

そうして考えている間だけは、少なくとも情念から自由である、と。

 

柄谷氏は学生の頃、アランの著作を通して、スピノザのこのような考えを知り、感銘を受けたそうだ。

 

実は私も学生の時に、授業でアランの著書を読んだ。

一般教養としての哲学の授業だったと思う。

悲しみや怒りといった情念にふりまわされてしまう、というのは恐らく年齢に関係ないが、それでも年を重ねるごとに、その経験は積んでいかざるを得ない。

経験を積めば、なんとか乗り切ることができるかもしれない。

しかし若者は、中年や老人と比較して、そのような経験が少ない。

 

だから大学の授業でアランが教科書として使われたのだな、と思う。

教授のそのような配慮が今にして分かった。

(今でもアランの著作は容易に手に入れられる。新訳もあるようだ。)

 

 

柄谷氏は、アランは基本的にスピノザ主義者だったと思う、と述べている。

 

スピノザによれば、われわれの「想像」(宗教やイデオロギー)は、それ自体不可避的である、という。しかしその「原因」を知ろうとつとめることはできる、という。

 

柄谷氏は、この講演を次のように結んでいる。

スピノザがいたということは、僕を勇気づけてくれるのです。≫

 

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