ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

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『バフチンとウィトゲンシュタイン』(柄谷行人著『言葉と悲劇』所収)。「建築への意志」

柄谷氏の『帝国の構造』を読もうかと思ったがどうもまた『言葉と悲劇』の方に引っ張られて、パラパラとめくってみた。

 

一番はじめに早稲田大学での講演『バフチンウィトゲンシュタイン』がある。

そこをパラパラと。

主観は、いくつもあるかもしれない、と書かれている。

ニーチェが、「主観の多数性」ということを書いているそうだ。

フロイトにもそれが受け継がれていると。

 

さて、主観がいくつもあったら困るのだが、実際私たちは、そんなに頻繁ではないにしろ、「自分はどうしたいのだ?」「自分はどう考えているのか?」なんてことを考えるのは日常茶飯なことで、同様に、自分の「本心」、他人の「本心」なんてものは、分からない訳です。

 

ニーチェのパラドクス」

「意識に問わなければならないが、意識に問うてはならない。」

 

禅問答のようだが、柄谷氏はこうした禅問答みたいなものを、論理的に説明できる。これは凄まじいことだ。

 

誰も説明できなかったようなことを、柄谷氏は論理的に説明できるのだ。

 

ニーチェにしろ、本居宣長にしろ、システマティックには書かなかった。

しかし、柄谷氏はそれを、システマティックに、統一的に体系的に書こうとした、そして書いた、のだと思う。

 

しかしなぜこんな難しい本が面白いんだろうかと考えてみたのだが、まず第一に、何となくわからん、もやもやする、なんでなんだろうなあ、みたいなことが、苦労して柄谷氏の本を読むと分かるというのが、まず一点。

 

それからこれが最大の理由だと思われるが、柄谷氏の「建築への意志」、これだ。

 

「創造的破壊」なんていう言葉が流行ったが、この言葉の重点は、どうやら「破壊」にあって、「建設」ではない。

 

柄谷氏の著作から感じるのは、「建築への意志」なのだ。

強靭な意志を感じる。

強度といってもいい。

これが実に爽快だ。