ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

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守谷健二氏の「日本古代史」を久々に読んだ。やはりおもしろい。

副島隆彦の学問道場」というホームページの中に、「重たい掲示板」というページがある。それはネット上の「掲示板」であり、誰でも閲覧できる。(投稿できるのは会員のみ)。

その掲示板に、守谷健二氏が何年も前から、「日本古代史」を書き続けておられる。

私は十年くらい前からこの「重たい掲示板」のファンであり、何年も前から、守谷氏の「古代史」は熟読してきた。実におもしろいのだ。

たとえば、

 

粟田真人が帰朝した西暦707年(慶雲四年)から『日本書紀』が完成する養老四年(720)の十三年の間は、大宝三年には完成していた『源日本書紀』を改訂するための時間であった。最大のポイントは、倭国王・多利思比孤を、大和王朝の聖徳太子に移し替えることにあった。≫(「大宝三年の粟田真人遣唐使の意義 2」2020年1月13日投稿)

 

と書いておられる。

 

特に最後の一行に注目したい。

まず、当時、現在の日本に、「倭国」と「大和王朝」との二つの王朝が存在していた、ということがこの一文に明記されている。

そして、「多利思比孤」が倭国王であったこと、その倭国王「多利思比孤」を、『日本書紀』は、大和王朝の「聖徳太子」にすり替えた、ということも明記されている。(この衝撃的な指摘は、あくまで一例であって、他にも驚きの「事実」を多々、指摘しておられる。)

 

守谷氏の説が、正しいのか正しくないのか、私には判定できないが、実に説得力があり、毎回、読むのを楽しみにしている。

 

小林秀雄著『本居宣長』を読んでいる最中なので、守谷氏の見解がなおさら興味深い。