故・江藤淳氏の『昭和の文人』という本を読んでいる。「むかし豪傑というものがいた」。
私が「詩や短歌、俳句も面白いなあ」と思うようになったは、小林秀雄や江藤淳、吉本隆明、山崎行太郎先生といった、文藝評論家の諸先生方の作品に接するようになってからだ。
詩や短歌、俳句も日本の伝統的な文藝である。
現在までに膨大な数の作品が生まれては消えて行った。
生まれては消え、そうして甦ってくる作品も多々ある。
『昭和の文人』で江藤氏が論じているのは主に、中野重治と堀辰雄だ。
このお二人は、どのようにして「歪んだ時空間」を生きたのか。
中野重治氏は、作家としての作品も面白いが、その詩歌も『昭和の文人』には引用されていて、思わず引き込まれる。
たとえば、中野氏は「豪傑」というタイトルの詩(現代詩)を若い頃に書いた。それは中野氏の人生の目標のようなものだった。
以下引用
≪
むかし豪傑というものがいた
彼は書物をよみ
嘘(うそ)をつかず
みなりを気にせず
わざを磨くために飯を食わなかった
後指をさされると腹を切った
恥ずかしい心が生じると腹を切った
かいしゃくは友達にしてもらった
彼は銭をためる代わりにためなかった
つらいという代わりに敵を殺した
恩を感じると胸のなかにたたんでおいて
あとでその人のために敵を殺した
いくらでも殺した
それからおのれも死んだ
生きのびたものはみな白髪になった
白髪はまっ白であった
しわが深く眉毛(まゆげ)がながく
そして声がまだ遠くまで聞こえた
彼は心を鍛えるために自分の心臓をふいごにした
そして種族の重いひき臼をしずかにまわし
そしてやがて死んだ
そして人は 死んだ豪傑を 天の星から見分けることできなかった
≫
以上引用
(中野重治氏の詩「豪傑」。『昭和の文人』江藤淳著新潮文庫P188・189からの引用)
100年近く前に書かれた現代詩だが、今読んでも実にいい。
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