ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

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「否応もなく『人生経験』が反映するのだ」。山崎行太郎先生のブログ「毒蛇山荘日記」を読んでいて思ったこと。

私は山崎行太郎先生のブログや著書を熱心に読んでいる。山崎先生のブログ「毒蛇山荘日記」は、10年近く、欠かさず読んでいる。


山崎先生は書いておられる。


《史料や文献の解読に、「人生経験」が必要か不要かではなく、否応もなく「人生経験」が反映するのだ。》(「毒蛇山荘日記」2019/4/15)



この、「否応もなく『人生経験』が反映するのだ」というところに、私は感銘を受ける。


人生経験というものは、良きにつけ悪しきにつけ、否応のないものだ。


史料や文献の解読だけでなく、話をすればその「声」に、絵を描けばその「筆致」に、100mを走ればその「フォーム」に、その人にしかないものが、その人の人生経験が否応もなく反映される。


どうやら呉座勇一という人は、その事が分かっていない。


佐藤優氏に自著の推薦文を書いてもらえるほどの人なのだから、前途有望な人なのだろうと思う。


だからこそ思うのだが、戦争にしろ喧嘩にしろジャンケンにしろ、勝ちと負けだけではなく、手打ち、あいこ、停戦、というものもあるのだから、話し合いをしてみてはどうだろうか?


徳川家康松平家とは縁もゆかりもない、という説もあるが、だからといって、徳川家康が偉大な人物であったことに変わりはない。神君・徳川家康の遺訓には、次のような意味の一節がある。


「勝つことばかり知って負けることを知らざれば、害その身にいたる。」



「無事長久」なんか求めてない、というのであれば、それはそれでいいのだが、前途有望らしい人だけに、惜しい気がする。