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「小林秀雄と平家物語3」。「無常な人間と常住の自然との出会い」そして「文化」。

前回の続きです。

小林秀雄平家物語3」

 

小林秀雄は、「自然」についてよく語っています。
先に引用した「小宰相」のところでも、次のように書かれていました。


《とともに突然自然が目の前に現れる、常に在り、しかも彼女の一度も見た事もない様な自然が。》P201


「小宰相」は、《自殺の決意》が目覚めた、その時にその瞬間に、「見た事もない自然」に出会ったのです。

 

「考えるヒント」の方の「平家物語」には、次のようにあります。

 

《「平家」は、曖昧な感慨を知らぬとは言うまい。
だが、どんな種類の述懐も、行きついて、空しくなる所は一つだ。
とのはっきりした出会いに行きつく。
これを「平家」ほど、大きな、鋭い形で現した文学は後にも先にもあるまい。
これは「平家」によって守られた整然たる秩序だったとさえ言えよう。
またそこに、日本人なら誰でも身体で知っていた、深い安堵があると言えよう。
それこそまさしく聞くものを、新しい生活に誘う「平家」の力だったのではあるまいか。
「平家」の命の長さの秘密は、その辺りにあるのではあるまいか。》P108

 


「小宰相」は、自殺の決意が目覚めた、その瞬間に同時に、「行きついて」、「常住の自然」と出会いました。


ここで私が連想するのは、小林秀雄奈良国立博物館で、展示物を見ている最中に、異様な体験をしたことです。


《突然、自分のニヤニヤしている顔がはっきり解かった。
すべてが消えて、往時の健全な意味をことごとく剥奪され、ガラス箱のなかに抽象化された歴史の残骸の、グロテスクというより他形容の仕様のない木偶の群れに、僕は囲まれていた。
僕は、わかくさ山に逃げ出した。》P177

 


小林秀雄は、その時、自殺を考えていたのかもしれません。
その時、「行きついて」、「常住の自然」と出会ったのかもしれない。
《無常な人間と常住の自然とのはっきりした出会い》です。
そして、ここには《日本人なら誰も身体で知っていた、深い安堵があると言えよう。》と書いています。


そのような「出会い」は、《新しい生活に誘う》のです。

小林秀雄は、奈良国立博物館から逃げ出して、わかくさ山へ行った。
そこで自然とは何かを悟った。
そうして、《新しい生活》を始めます。
それは、批評家・小林秀雄の誕生を意味します。
小林秀雄は、批評家・文芸評論家として《新しい生活》を始めました。


《深い安堵》の後に、《新しい生活》を始めたのです。


山崎行太郎先生の著書『小林秀雄ベルクソン』(彩流社)の一節に次のように書かれています。
大岡昇平のことです。
小林秀雄の《もっともすぐれた理解者》から《もっとも強力な批判者》(山崎)に転じた大岡昇平です。


《いいかえれば、大岡昇平の内部に、現実や生活に対する素朴な、そして強固な信頼が生まれてきた。
分析や解釈という理論的作業によっては、決して汲みつくせない現実の多様性への信頼である。》P115

 

大岡昇平が何に出会ったのか、それは山崎先生の著書『小林秀雄ベルクソン』に書かれています。
大岡昇平は、「出会い」、「安堵」し、そして、「新しい生活」を始めました。
作家・大岡昇平の誕生です。

 

小林秀雄は、奈良の博物館で、奈良時代の「歴史の残骸」に出会うことで、「常住の自然」と出会った。
これが、小林秀雄が文芸評論家としての《新しい生活》を始める直接のきっかけだった、と私は思います。

 

「小宰相」と小林秀雄大岡昇平、この三人が体験したことは、同じです。
《見た事もない自然》に出会った。
そして「安堵」した。
そして「新しい生活」を始めた。「小宰相」は、海に身を投げますが、これも「新しい生活」と見ていいと思います。

この三人に共通する体験は、普遍的なものだと思います。
つまり日本だけでなく、世界中の、人類に共通のものだと思います。

 

数年前に刊行された『憲法の無意識』(岩波新書)を参考にしたいと思います。
柄谷行人氏の本です。
平家物語についての直接の言及はありませんが、柄谷氏もまた、「自然」について考え続けてきた思想家だと言っていいと思います。


ここで柄谷氏は、フロイトの理論を援用しています。
ちょっと平家物語から話題が逸れるように思われるかもしれませんが、つながっています。
ここで、《死の欲動》について書かれています。


死の欲動とは、有機体が無機質であった状態に戻ろうとする衝迫です。》P78

 

どうつながっているかというと、たとえば、「小宰相」、小林秀雄大岡昇平の「新しい生活」とは、「無機質であった状態へ戻ろうとする衝迫」によって始められたと考えることができます。


平家物語において、残された人が出家して、死者が極楽往生できるように「後世を弔う」、というエピソードがいくつもあります。
これも三人と全く同じ、「新しい生活」であると考えられます。


柄谷氏はこう書いています。

《定住以後の社会では、それらが多数結合された「有機体」になる。それは葛藤・相克に満ちた状態です。
そのとき、攻撃欲動が生じるのです。
それに対処すべく生じたのが、互酬の原理にもとづく厳しい掟をもった氏族社会です。》P78

 


「有機体」的な集団においては、「葛藤・相克」に満ちており、「攻撃欲動」が生じる。
ここで悲惨な争いが起こります。
人はそこで「見た事もない自然」に出会います。
そこで、「無機質であった状態へ戻ろうとする衝迫」が働き、攻撃欲動を抑えるものとして、無機的な「厳しい掟をもった氏族社会」が生じた。

 

小林秀雄がいう「新しい生活」とは、「攻撃欲動」が抑えられた「無機質」な生活のことだと思います。
「無機質」というと、味気ないとか、そっけない、人間味がない、そんな印象を受けますが、ここでは、そういう事ではありません。


フロイトを援用する柄谷氏の言葉を借りれば、「新しい生活」とは、「『文化』的な生活」、といっていいと思います。
文化=超自我です。引用します。


超自我は、死の欲動が攻撃性として外に向けられたのち内に向かうことによって形成されるものです。
現実原則あるいは社会的規範によっては、攻撃欲動を抑えることはできない。
ゆえに、戦争が生じます。
それなら攻撃欲動はいかにして抑えられるでしょうか。
フロイトがこのとき認識したのは、攻撃欲動(自然)を抑えることができるのは、他ならぬ攻撃欲動(自然)だ、ということです。
つまり、攻撃欲動は、内に向けられて超自我=文化を形成することによって自らを抑えるのです。
いいかえれば、自然によってのみ、自然を抑制することができる。》P15、16

 


平家物語の成立は、当時の、多くの人たちの、集合的な「攻撃欲動が、内に向けられて超自我=文化を形成すること」によって、成立したと言ってもいいと思います。
八百年ほど前のことです。

カントあるいはフロイトが見出した超自我=文化を、八百年前に、図らずも形成していた。

 

最後に、再び小林秀雄の言葉を引用して終わりにしたいと思います。


《「平家」は、曖昧な感慨を知らぬとは言うまい。
だが、どんな種類の述懐も、行きついて、空しくなる所は一つだ。
無常な人間と常住の自然とのはっきりした出会いに行きつく。
これを「平家」ほど、大きな、鋭い形で現した文学は後にも先にもあるまい。
これは「平家」によって守られた整然たる秩序だったとさえ言えよう。
またそこに、日本人なら誰でも身体で知っていた、深い安堵があると言えよう。
それこそまさしく聞くものを、新しい生活に誘う「平家」の力だったのではあるまいか。
「平家」の命の長さの秘密は、その辺りにあるのではあるまいか。》P108


(終)

 

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