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🏀小林秀雄と平家物語1「無常という事」

ふと思い立って、平家物語関連のものをアップします。

何年か前に書いたものに少し手を加えました。

 

■■■「小林秀雄平家物語1」

小林秀雄は「平家物語」と題した短いエッセイ風の小品を二つ書いています。一つは、戦中(大東亜戦争)に書かれた一連の「無常という事」という作品集にあります。もう一つは、戦後の昭和三十五年、1960年に書かれたもので、「考えるヒント」に収録されています。

一連の「無常という事」には、「平家物語」の他に、「西行」「徒然草」「実朝」といった、鎌倉時代の人や作品を題材にしたものが収められています。

 

小林秀雄の短編『平家物語』を読んでみました。はじめに、子規の歌が引用されています。


《先がけの 勲功立てずば 生きてあらじと 誓える心 生食(いけずき)知るも》P200(『無私の精神』小林秀雄著、文藝春秋


まずこの歌の意味がさっぱり分からない。平家物語を全く読んだ事がなかったからです。「生食」とは馬の名前です。源頼朝が、配下の侍、佐々木四郎にこの馬を与えました。梶原景季(がけすえ)という若い侍もこの馬が欲しくて欲しくて、以前から、何度も頼朝に頼んだが、頼朝は与えなかった。そのかわり、「するすみ」という名馬を梶原に与えました。

戦場の宇治川への行軍途中に、梶原は、「いけずき」に乗馬している佐々木を見つけます。

佐々木に聞けば、佐々木は、「実は盗んできたのだ」、と嘘を言います。梶原は、それを信じたのか信じなかったのか分かりませんが、「ちくしょう、俺も盗めば良かった」、と言って去って行きます。

 

佐々木四郎は、宇治川へ出陣する前に、頼朝に挨拶に行きました。その時に、頼朝の方から、「もらってくれ」と言って、佐々木に「いけずき」を与えました。なぜか。それは分かりません。小林秀雄が書いている通り、

《頼朝が四郎に生食(いけずき)をやるのも気紛れに過ぎない、無造作にやってしまう。もっともらしい理由なぞいろいろ書いている盛衰記に比べると格段である。》P200


実にあっさりと「いけずき」を佐々木四郎に与えます。この馬は名だたる名馬で、誰もが欲しがる名馬です。それを「もらってくれ」と言われて、佐々木四郎は、「先がけの勲功立てずばいきてあらじ」と頼朝の前で言ってしまいます。

 

この佐々木四郎と梶原景季が、宇治川の合戦で、「先がけ」を競います。

佐々木四郎は、「いけずに」に乗馬して、梶原景季(かげすえ)は「するすみ」に乗馬して。佐々木四郎は、「先がけ」の勲功を立てなければ死ぬ、とまで言っている。命を賭けてしまった。子規の歌では、このように誓った佐々木四郎の心を、佐々木が乗馬する馬、「いけずき」は知っていた、と言っているわけです。

 

命を賭けるに値する「先がけ」というのが、よく分かりませんでした。現代では「先がけ」という言葉よりは、「抜けがけ」という言葉の方がよく使われているのではないでしょうか。

それでは、「先がけ」とは何か。戦場で名乗りを上げ、真っ先に戦陣を切る、最前線で戦の火蓋を切る、これは危険極まりない事です。真っ先に、敵の矢面にさらされる。勇気ある者にしかできません。言ってみれば勇者の証しとなります。それは、戦場で誰がどのように戦ったかを記録する者によって、記録される。噂が各地に知れわたる。佐々木四郎という若者が、「先がけ」を行ったそうだ、凄い奴だな、カッコいいなあ、と流行の人となります。一世を風靡するわけです。

それだけでなく、おそらくその勲功によって、多額の報奨金を得たのでしょう。現代に換算していくら位になるか分かりませんが、一億円とか、十億円とか、計り知れません。役職も手に入れた。それは役職を解かれるまでずっと、定期的にかなりの額の収入が入ってくる役職です。

勇気ある若者にとって、これほど魅力的な賭けは、戦をおいて他にはなかったのだと思います。それほど、侍にとって、「先がけ」とは重大事だったのだと思われます。

「先がけの 勲功立てずば 生きてあらじと 誓える心」を佐々木四郎の馬「いけずき」は、知っていた、と子規はいうのです。そう言われてみれば、確かにそうなのだと思います。そんな感じが、「平家物語」にはある。小林秀雄は書いています。

《まるで心理が写されている様な感じがする。事実、そうに違いないのである。このあたりの文章からは、太陽の光と人間と馬の汗が感じられる、そんなものは少しも書いてないが。》P200


この少し後に小林秀雄は書いています。

《通盛卿の討死を聞いた小宰相は、船の上に打ち伏して泣く。泣いている中に、次第に物事をはっきりと見る様になる。》P201

 

ここも私ははじめ読んだ頃には、さっぱり意味が分からなかった。「通盛卿」とは誰か。「小宰相」とは誰か。なぜ船の上か。分からないことだらけでしたが、何となく読み飛ばしていました。

 

「通盛卿」とは、平通盛のことで、平清盛の孫にあたります。平家が滅亡する直前の決戦、「一の谷の戦い」で死にます。「小宰相」とは、その「通盛卿」の妻です。夫妻ともに、決戦の舞台、一の谷にいました。源義経の奇襲によって、一の谷の戦いは、一気に、平家にとって絶望的な様相を呈しました。妻・小宰相は、他の平家の貴人とともに、船に乗り、一の谷を脱出します。その船の上で、小宰相は、夫・通盛の死を知ります。

小林秀雄の続きはこうです。


《もしや夢ではあるまいかという様な様々な惑いは、涙とともに流れ去り、自殺の決意が目覚める。とともに自然が目の前に現われる、常に在り、しかも彼女の一度も見た事もない様な自然が。》P201

 

小宰相は、こうして海に身を投げて死にます。懐妊していました。初めての子となるはずでした。

 

それで私がここで言いたいのは、「先がけ」「いけずき」「通盛卿」「小宰相」という、「平家物語」を知っている人ならば、誰でも知っているらしい事を、私は知らなかった、という事です。それはおそらく、私だけでなく、私の世代はみな、知らないだろうと思うわけです。今の40代の人で、「いけずき」を知っている人は、ほとんどいないと思ったわけです。

逆にいえば、当時、戦中の日本人の多くの人が、「平家物語」を知っていたのではないかと思われます。そして小林秀雄が書いた短編「平家物語」はじめ、一連の「無常という事」を読んだ。熱心に読んだ。現に今、「いくさ」(大東亜戦争)が戦われている。そんな最中に、小林秀雄は熱心に、「平家物語」を読み、多くの人が、小林秀雄が書いた一連の「無常という事」を読んでいたのです。

平家物語の有名な冒頭は、「祇園精舎の鐘のこえ 諸行無常の響きあり」から始まります。小林秀雄が、鎌倉時代の人と作品を題材とした短編集を、「無常という事」と題したのは、おそらくこの平家物語の冒頭を意識してのことだと思います。

では、小林秀雄の「無常という事」、あるいは「平家物語」の原本は、いわゆる「諸行無常」を表わしているのかというと、どうもそんな感じはしません。

諸行無常」、何か悟りの境地というか、俗世間を捨てたような、出家した人のような、静かな感じを与えますが、先の引用《太陽の光と人間と馬の汗が感じられる、》の通りだと思います。躍動感あふれる、笑いあり、涙あり、勇気あり、喜怒哀楽、すべてが凝縮されたような物語だと思います。


小林秀雄は、一般的に理解されている「無常」という事に、異議を唱えていた、とも言えると思います。こう書いています。


《平家のあの冒頭の今様風の哀調が、多くの人々を誤らせた。平家の作者の思想なり人生観なりが、そこにあると信じ込んだがためである。》P201

 

また、終わりの方でこうも書いています。


《平家の作者達の厭人(えんじん)も厭世(えんせ)もない詩魂から見れば、当時の無常の思想の如きは、時代のはかない意匠に過ぎぬ。》P202

 

平家物語」の人々は、活動的です。よく笑い、よく泣きます。合戦の場面では、人や馬の筋肉の躍動感が圧倒的ですが、静かな場面でも、妙な言い方ですが、魂が躍動しています。

 

 無常(むじょう)などと世の人はいうが、そんなものはテンで無常なんてものではないだろう、と小林秀雄は言っているように感じます。(続く)

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