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🌈大江健三郎の小説「万延元年のフットボール」を読んだ早とちりかもしれない感想。

大江健三郎著「万延元年のフットボール」を読んだ。

とても面白かった。
年を取るにしたがい、長編小説を読破しようという気力も衰えてくるが、この小説は、最後まで読ませる忍耐力がある。
どんな小説なのか。
テーマ、主題はいろいろある。
読み手によってさまざまなものを受け取ると思う。
超有名な作品だから(といいながらこの年までページを開いたことさえなかったのだが)、いろんな切り口で論じられてきただろうと思う。
数日前に読み終えて、次の小説(これまた大江健三郎の長編小説「洪水はわが魂に及び」、これも面白い)を読みはじめたのだが、読み疲れてタバコをすいながら「万延元年のフットボール」について考えて、それで思ったのは、「マイホームパパの不可能性」と「近現代の農村の不自由さ」というようなことだった。

1967年に書かれたのだから、「マイホームパパ」はそれ以降もずっと、今現在に至るまでずっと増え続けているはずなのだが、その不可能性がこの小説で、描かれているように思った。
ただそもそも「マイホームパパ」というような言葉自体が、死語になりつつあるけれど。
――
「近現代の農村の不自由さ」。
今に始まったことではなく、農村については柳田国男を持ち出すまでもなく、論じられ、今も論じられていることだ。
大江健三郎の凄いところは、その「問題」を長編小説でみごとに表現しているところだ。
51年も前に。
端的にこの小説は、「農村からの脱出の物語」であると言いたい。
若者は、都会を目指す。
万延元年のフットボール」では、主人公はじめ、主な登場人物たちは、「脱出」した、そうして何となくハッピーエンディングで終わる。
主人公たちは、命からがら、脱出に成功したのだ。
こんなすごい小説が51年前に書かれていた。
――
今の中高年、40歳より上、70歳より下、の世代は、村上春樹という作家をご存じだと思う。
私も夢中になって読んだのだけれど、村上春樹の小説には、「枯れた井戸」が出てくる。
とても重要なものとして。
主人公は、その枯れた井戸で瞑想する。
その「枯れた井戸」の着想は、大江健三郎の小説から来ているのだなと、私は早合点した。
万延元年のフットボール』の「穴ぼこ」、『洪水はわが魂に及び』の「地下シェルター」が「枯れた井戸」の原型だ。
似ているのだ、感じが。
だから村上春樹の小説が好きだった人は、大江健三郎の小説も好きになる可能性が高いと思う。
「井戸」の深さを比較すると、村上春樹の深さは大江健三郎の深さに及ばないと思う。今のところ。

(続く)

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