ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

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ノーベル賞作家・大江健三郎の小説『叫び声』を読んだ。こんな凄い小説があったなんて知らなかった。ドストエフスキーもいいが、大江健三郎もいい。日本の小説は面白くない、外国の翻訳物の方がいい、という読書家も多いが、大江健三郎の小説は、まるで翻訳物のような錯覚を起こさせる。日本語でサラッと読める小説ではない。ゴツゴツしている。それが外国の翻訳文学のような錯覚を起こさせる理由だろう。驚きのない小説なんてのは、気の抜けたコーラみたいなものだ。甘いだけだ。

大江健三郎を発見した。
大して読んだわけではない。
わずかばかりの作品を読んだだけで、身を入れて読み始めたのは、最近の事だ。
「全小説」というのを手に入れて、全小説を読む気になっている。
十代の終わり、読書にのめり込み始めたのだが、よく考えてみれば、読んでいたのは、外国の翻訳作品が多かった。
日本のものもそれなりに読んだが、その中に大江健三郎の作品は、ひとつかふたつだった。
それきり大江健三郎は読まなかった。
おもしろいよ、と言った人がたったひとりだけいた。
だがしいて読めとは言わなかった。
だから私は読まなかった。


もし学生時代に大江健三郎をしっかり読んでいたら、間違いなく、私の人生は、今とは全く違っていただろう。
それくらいの破壊力を、大江健三郎は内蔵している。
間違いない。
「いい方向」に変わったのか、「悪い方向」に変わったのか、それは全く不明で、神のみぞ知る。
ではあるが、大江健三郎は、今、旬なのだ。
今こそ、大江健三郎を読め、若者よ、読んでみなさい。


小説『叫び声』の登場人物は、主役級が四人いる。
四人のうち、三人は日本に生まれ育った少年、若者たちだ。
17歳、20歳、23歳、くらい。
ふとしたきっかけで、彼らは出会った。


一人は死んだ。
一人は死刑判決を受けた。
一人は途方に暮れている。


女は脇役が数人登場するだけだ。
女性受けする小説ではないと思う。
しかし女性に媚びていない小説なので、逆に女性には新鮮に感じられるかもしれない。
男というのは、厄介な生き物なのだな、と合点がいくかもしれない。
そんな小説だが、大江健三郎は20歳だか21歳で芥川賞を受賞してから、次々と小説を書いて、何年か前にノーベル賞を受賞した。
外国語の翻訳文学みたいだな、と感じるのは、問題の本質が、普遍的だからだ。
日本に生まれ育った少年たちの問題が、世界の別の地域に生まれ育った人たちにも共通するような問題を、圧倒的な迫力で描いているからだ。
生と死。
罪と罰
わけの分からないエネルギーに満ち溢れている。
暴力に満ち溢れている。


私がふと大江健三郎を読みたくなったのは、いろいろときっかけはあったが、欧米の映画を見ていて、善とか悪とかに対する執拗なまでのこだわりが、大江健三郎を連想させた、というのがひとつのきっかけだ。
大江健三郎の小説は、まず、暴力の描写がすさまじい。
その暴力は、悪なのか、善なのか?
大江健三郎は、執拗に、そうした暴力を描いている。
今では白髪のおじいさんだが、その容貌にだまされてはいけない。
大江健三郎は、徹底的だ。
大江健三郎の小説には、妥協というものがないように見える。
だから、結末はハッピーエンドではありえない。
こんな調子で小説を書いていたら、もたないだろうと心配になるが、大江健三郎は、ものすごい量の小説を書いた。
繰り返し読みたくなるような作家はあまりいないから、大江健三郎を発見できたことを嬉しく思っている。



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