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「ナショナリズムの終焉」について



シュロモー・サンド氏の『ユダヤ人の起源』を読んでいる。さらっと書かれているが私にはなかなかに衝撃的だった文がある。

《(前略)経済的不安感を呼びさました。すると、この不安感はたちまち反転して、アイデンティティの不安感となった》(P188)


私にとって重要なのは、その後の一文である。

《二十世紀によく知られる歴史現象ではある。》


サンド氏は、経済不安がアイデンティティ不安に反転するということを、二十世紀において、当たり前のようにそのようなことがあったと指摘している。

これは今の日本の思想状況を考える上でも、示唆的だ。

二十一世紀現在の日本において、「歴史」なり「神話」なりが注目されているのも、経済的な不安を経て、日本人が、アイデンティティ不安にさいなまれるからだと考えることができると思う。

私は福沢諭吉を丹念に読みたいと思い、実際少しづつ読んでいるわけだが、福沢諭吉は明治日本を「建国」する際の精神的支柱である。少なくともその大きな柱の一本だったと私は考えるが、その福沢諭吉を読みたいと考えた現代人である私は、二十世紀末から続く二十一世紀の経済的混乱の中で、アイデンティティ不安を抱えているのだと、そう考えることができる。

経済不安がアイデンティティ不安となり、その不安を解消するために、ナショナリズムが燃え上がる。とすれば、二十一世紀の現代でも、ナショナリズムが燃え上がる素地は十分にある。現に私は福沢諭吉を読んでいる!

しかし十九世紀と現代とで、大きく異なるのは、すでにナショナリズムについての分析が、すでに世界各国でなされてきた、ということだ。サンド氏による『ユダヤ人の起源』も、その系譜に連なる労作だといっていい。

「民族国家」は、今後百年はなくならない、(佐藤優氏が著書『官僚階級論』でそう書いていたはずだ)、つまりナショナリズムという十九世紀に産声をあげた思想は、さらに百年は生きながらえるだろうが、その後は、もっと別の考え方が主流になるだろう。

 なんてことを考えている。