ブログ「偉人列伝」(小説・批評・文芸・映画・政治・

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動画『「認知症」おやじが行方不明になりました』という平塚正幸氏のユーチューブを見ました。平塚正幸は、平家物語を語ったという琵琶法師の再来か?

ユーチューブを見ようと思い、最近、あの平塚正幸はどうなのかなと。


お、


『「認知症」おやじが行方不明になりました』というタイトルの動画がある。1月20日くらいにアップされた。

一時間以上ある長い動画だが、見始めてしまった。
一時間以上、彼のお父さんが行方不明になってしまった、その話を、軽妙に語っていて、最初から最後まで、しっかり見ました。

おもしろかったんです、これが。
認知症」というのは、高齢化した日本の社会問題のひとつですが、深刻ぶらずに、語っている、このトークが軽妙なんだな。

お父さんの認知症の症状がさほど重度ではないこと、それからお父さんが行方不明になってしまったが何事もなく帰って来たこと、このことが、軽妙に話すことができる大きな理由だろうとは思うが、とにかく、お父さんへの愛情にあふれていて「社会問題」とはいいながら、しかめ面せずに楽しめる動画でした。

メルマガ「偉人列伝」令和二年1月号、先日配信しました。

二月号は二月中旬に配信予定です。

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守谷健二氏の「日本古代史」を久々に読んだ。やはりおもしろい。

副島隆彦の学問道場」というホームページの中に、「重たい掲示板」というページがある。それはネット上の「掲示板」であり、誰でも閲覧できる。(投稿できるのは会員のみ)。

その掲示板に、守谷健二氏が何年も前から、「日本古代史」を書き続けておられる。

私は十年くらい前からこの「重たい掲示板」のファンであり、何年も前から、守谷氏の「古代史」は熟読してきた。実におもしろいのだ。

たとえば、

 

粟田真人が帰朝した西暦707年(慶雲四年)から『日本書紀』が完成する養老四年(720)の十三年の間は、大宝三年には完成していた『源日本書紀』を改訂するための時間であった。最大のポイントは、倭国王・多利思比孤を、大和王朝の聖徳太子に移し替えることにあった。≫(「大宝三年の粟田真人遣唐使の意義 2」2020年1月13日投稿)

 

と書いておられる。

 

特に最後の一行に注目したい。

まず、当時、現在の日本に、「倭国」と「大和王朝」との二つの王朝が存在していた、ということがこの一文に明記されている。

そして、「多利思比孤」が倭国王であったこと、その倭国王「多利思比孤」を、『日本書紀』は、大和王朝の「聖徳太子」にすり替えた、ということも明記されている。(この衝撃的な指摘は、あくまで一例であって、他にも驚きの「事実」を多々、指摘しておられる。)

 

守谷氏の説が、正しいのか正しくないのか、私には判定できないが、実に説得力があり、毎回、読むのを楽しみにしている。

 

小林秀雄著『本居宣長』を読んでいる最中なので、守谷氏の見解がなおさら興味深い。

 

 

 

 

「小林秀雄の『本居宣長』を読む」(2)。しずかさや 岩にしみいる せみのこえ(芭蕉)

大和魂」とは、日本人に特有の、雄々しい精神を表す言葉として、現在使われている。しかし、「源氏物語」=西暦1000年頃成立、「今昔物語」=西暦1100年頃成立、の頃には、「机上の学問と比較した、生活の知恵、死んだ理屈に対する、生きた常識」というような意味合いの言葉だった様です。

 

現在の「大和魂」という言葉の意味は、平田実篤によって定式化された。

本居宣長のいう「大和魂」という言葉の意味合いは、現在の意味とはまるで違います。

源氏物語や今昔物語で使われている「大和魂」「大和心」とだいたい同じだということです。

 

「姿は似せがたく 意は似せやすし」。

この言葉は、本居宣長のキーワードでしょう。

誰かの口まねをすることは、容易です。

子どもたちは、あるいは鳥のオウムは、口まねが上手いです。

口調をまねるのが上手い。

では、姿をまねることはどうか?

雰囲気をまねることはどうか?

それは難しいだろうと思います。

すぐにボロが出る。

 

以下、拙作

しずかだな 岩にしみいる せみのこえ

オリオン座 今はどこかと あおぎみる ただ月だけが 赤くかたぶく

狂歌 寝る前に 詠む歌なり

 

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「こころなき 身にもあわれは しられけり しぎたつ沢の秋のゆうぐれ」(西行)

 

以下、拙作。
「われはまた ひげをそりそり じゃりじゃりと ひげをそりそり われひげをそる」
「義仲は みたまえしかや 義兄弟を」
「義仲は みたまえしかや 流るる髪を」
「義仲は みたまへしかや 実朝殿を」  

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「小林秀雄の『本居宣長』を読む」(1)ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ

柿本人麻呂という人の有名な歌です。

 

小林秀雄氏の『本居宣長』という古い本を読んでいたら、ふと、ひょっとしたら、私の祖父もこの本を読んでいたかもしれない、という気がしてきました。

それで小林秀雄の生年を調べてみたら、1902年、明治。祖父の生没年を覚えていないので分からないが、小林秀雄と世代的にはそんなに違わないはずなので、読んでいたとしても不思議ではない。

 

学問とは無縁な人だったと思うが、仏の教えというか仏教というか、お経というか、仏にまつわる知見は、深かったのかな、と思う。

あるいは、「もののあわれを知る」ということについての認識が。

 

そう思うのは、私が思い描く祖父のイメージであって、実際、祖父と話をした記憶は、ひとつもない、全くないのだが、なぜか、『本居宣長』から伝わってくる小林秀雄氏のことばが、祖父のことばのように感じられることがある。

 

〇いにしえの 文を読みつつ 空みれば もののあわれは 知らるべきかな

〇あわれとは 哀しきことと な思いそ 喜も怒も楽も みなつれづれなり

 

つづきを読みたいと思う。

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謹賀新年。あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

昨年中はいろいろとお世話になりました。

本年もよろしくお願いいたします。

 

小林秀雄氏の『本居宣長』を読みながら、「もののあわれを知る」とは何なのか、考えつつ。

 

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やはり、小林秀雄の『本居宣長』はいい、とてもいい。実に泰然としている。

なんだろうなあ、この感じは。

実におもしろい。

江藤淳氏は、十数年を費やして『本居宣長』を書き上げたばかりの小林秀雄氏を≪老いの叡智と自足を体現している≫と書いておられたが、実に的確な評だと思う。

 

「叡智」だけではない、そこに「自足」がある。

年の瀬にこの本を開くことができた幸運。

 

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